高知市上町二丁目を北に進み、柴巻(しばまき)と言うところに田中良助旧邸があります。
今でもゆるぎない人気を誇る坂本龍馬が当時は上町二丁目から約8㎞の道のりを歩いて田中良助邸までよく通ったといわれています。
坂本龍馬ゆかりの地として当時の面影が現存する田中良助旧邸を訪ねてみました。
坂本龍馬ゆかりの地 田中良助旧邸
現在まで、7代続いている田中家なのですが坂本龍馬と関わりがあった田中良助(りょうすけ)は当時の田中家の2代目に当たるそうです。
もともと柴巻の山は坂本家が所有していて山の一部を田中家が購入したといういきさつで龍馬との関わりができたようです。
きっと、小さい時から登った山なので龍馬にとってはいくつになっても里山なんでしょうね。
田中良助旧邸資料館
高知市の柴巻にある田中良助旧邸ですが、金曜日から日曜日に資料館として家屋の内部をまるまる公開してくださっています。
ここからは市内の景色や太平洋が見えて、とても見晴らしがいい場所です。
家の前まで行くと、今でもここに住んでおられる田中さんが
「ここから、あがってゆっくりと見ていってください。」
と手際よく玄関口を開けてくださいました。
中に入って見ると、田中良助と坂本龍馬との写真が飾られています。
屋敷の中には茶の間や床の間などふすまで仕切られた部屋が合計7部屋もあります。
屏風が置かれている部屋には来館者の名前を記帳するお帳面があります。
私が行った日は、私で4人目の来館者でした。
坂本龍馬は何度もこの家に通っては数日を田中良助とともにこの家で過ごしていたと言われています。
龍馬さんはどの部屋で寝ていたのでしょうか?
と思うと龍馬ファンならワクワクするかもしれませんね。
田中良助旧邸まで車で行く場合は駐車場はないのですが、田中さんにお伺いすると
田中良助旧邸資料館を過ぎて八畳岩へ行く登り口付近が道路幅が広いので少しの間なら駐車することができるそうです。
坂本龍馬との関係は深かった?
そういえば、この家のふすまの下張りから龍馬が田中良助から保証人も担保もなく金二両を貸してもらったという借用証文が偶然見つかって真偽のほどを議論しました。
後に借用書の下書きまで見つかって一時の話題になっています。
この事がきっかけで、龍馬と田中良助との関係がさらに明らかになったのではないかと私は思います。
金二両の使い道は、讃岐の丸亀に剣術を視察に行くからと言ったらしいのですが、実際はその金二両を借りた後に、坂本龍馬は沢村惣之丞(さわむらそんのじょう)と共に土佐藩を脱藩しています。
保証人も担保も取らずにお金を貸してあげるほどお互い厚い信頼関係が築かれていたのでしょうね。
しかも田中良助は人がいいからというだけでなく
「こいつなら、やってのけるちや、わしもできる限りの応援をせにゃぁいかんのう」
この時龍馬は27歳、田中良助は42歳、高知で言うおんちゃんと若いもんといった
関係でしょうか、いろいろと語り合ううちに歳は離れていたもののきっと龍馬の志に
賛同して叶うように心のどこかで思いを馳せていたのかもしれません。
そして、龍馬自身も田中良助の事を「わしは、おんちゃんに好かれちゅうがやき」
とちょっとおんちゃん(田中良助)に甘えてみたのかも?
その後、龍馬が京都で帰らぬ人となった事を知った後でも田中良助は坂本家に対して貸した金二両についての催促を一切しなかったそうです。
坂本龍馬と田中良助は、よほどの強い絆と信頼関係が築かれていたのですね。
田中良助旧邸と八畳岩はセットで行こう
田中良助旧邸を一通り見て八畳岩へ行こうと思っていたら、家の中から田中さんが出てきて
八畳岩への行き方を親切に教えてくださいました。
田中さん:「上り口のところに竹の柵をしちゅうけんど、左側を登って行ったらえいきね。
田中さん:「竹の柵は道をまちごうたらいかんと思って、わしが通せんぼしちゅうがやき(笑)」
田中さん:「それから、八畳岩へ上がる時はうんと滑りやすいき、気ぃ付けて上がりなさいよ。」
私:「ご親切にありがとうございます。」
田中良助旧邸と八畳岩はセットで行くのがおすすめです。
八畳岩の見どころ
教えて頂いた通りのところへ行くと、八畳岩へ上がって行く案内の看板があり坂道を登って行くようになっています。
この道を龍馬さんも登って八畳岩へ行ったのですね。
ちょっと、ワクワクです。
時間にして5分もかからないうちに八畳岩のほぼ真下に着きました。
最後にこの石段みたいなのを上がって行きます。
岩の真上まで上がるにはちょっと絶壁に近い岩肌に這いつくばって登るといいです。
岩の上へ上がってみるとてっぺんはゴツゴツしたところや少し平らになったところがあります。
八畳岩から見る景色も最高です。
この八畳岩からの景色を眺めながら坂本龍馬と田中良助が盃を交わしいろいろと語り合ったのでしょうか。
返杯もしよったかも?
返杯とは、自分の盃を飲み干して相手に渡し酒を注いで、その盃を相手が飲み干してからまた自分に返してもらう、高知の宴会などではよく見かける高知独特のお酒の飲み方です。
「おんちゃん、おらが今に日本の国を変えて見せるきね。」
「上士も郷士もない世の中にしちゃるがやき。」
と眼下に広がる高知平野を眺めながら時代の行く末を語り合ったかどうかは定かではないですが。
かつて坂本龍馬がこの岩の上に立った事実にかわりはありません。
田中良助旧邸資料館へのアクセス
- 住所:高知市柴巻381番地
- 開館日:毎週金曜日・土曜日・日曜日 ※年末年始12/27~1/3までは休館
- 開館時間:午前10時~午後5時
- 入館料:無料
- 駐車場:なし
- 問い合わせ先:高知市観光課(088-823-9457)高知市生涯学習課(088-822-6394)
最後に・・・
私は、毎年3月24日が近づくと坂本龍馬の土佐藩脱藩について思いを馳せてしまいます。
実行しなければ今の日本は現代のような進化を遂げていただろうか?
坂本龍馬が帰らぬ人となって150年以上経ちます。
当時の屋敷が現存できていることは、ひとえに現在まで家の手入れなどの維持管理に携わって頂いている田中家の人々に感謝をせざるおえません。
幕末の混乱する時代を翻弄した坂本龍馬の歴史の1ページがこんなに身近に感じられる場所をいつまでも大事にしていきたいと思います。
これなぁんだ? おまけ
いつも市内の道路を走っていると北の方角に、山の斜面に張り付けられたように設置されている太陽光発電が見えています。
柴巻へ行った帰り道を北山街道方面から正連寺のゴルフ場へ行ける道を走っていると
見つけました。
あの太陽光発電です。
県道270号線を土佐山へ行く時に通る網川トンネルが通っている上の道路にありました。
気になるモヤモヤが一つ解消です。