高知県の梼原町にある【維新の門】には坂本龍馬と共に幕末の日本を駆け抜けた梼原町出身の若き志士たちの群像が建てられています。
「ここから龍馬が決意を新たに維新への門は開かれた」と言っても過言ではないでしょう。
坂本竜馬脱藩への決意
1862年3月24日、坂本龍馬28歳の時
澤村惣之丞(さわむらそんのじょう)と共に土佐藩を脱藩することを決意します。
【脱藩】とは、今の時代で言うとパスポートなしで国を出国するようなもの。
現代に生きる私たちは車でどこに行っても簡単に越県できるのですが、坂本龍馬が生きた幕末の時代では、許可なく勝手に国(藩)を出てはいけない時代だったので今の時代では考えられない事です。
坂本龍馬脱藩への道のり
高知市の住処を後にして出発した坂本龍馬は翌日、梼原町に住む那須俊平、信吾宅に一晩泊めて貰いその翌日25日那須俊平、信吾父子の案内で梼原町を出発しました。
那須俊平:「龍馬さん、これからあっちの方向へ行くぜよ」
龍馬:「ん?あっち?」
とは言わなかっと思いますが・・・
那須俊平:「あっち言うたら、あっちぜよ」
「指差す方にある韮ヶ峠のことよえ」
龍馬:「なるほど・・・、だいぶ向こうじゃの」
「ほいたら、どうぞ、案内してもうらおうかのう」
那須俊平「よっしゃ!ほいたら、行くぜよ。」
「信吾!準備はえいか?」
信吾:「はい!父上。」
信吾:「いざっ!」
龍馬:「あ~ ちっとまっとうせ。わしゃぁ、そこの神社でお参りしてから行くき」
「おまんらぁどうする? 一緒に行くかえ?」
と言う感じでの会話があったとしたら
もしかしたら、出発地点は【維新の門】の近くにある三島神社だったかも?
その瞬間、那須信吾たちのあのカッコいい群像の足元がカクっと崩れたかもしれないと想像するのも楽しいひと時を過ごすことができます。
無事に梼原町を出発した一行は、韮ケ峠からいくつかの峠を越えながら【維新の門】は開かれたのでした。
坂本龍馬の脱藩した時の思い
坂本龍馬が生きた幕末の時代、生まれ育った故郷を後にして高知を脱藩する際に龍馬はひたすら前を向いて日本の将来を見据えていたのでしょう。
また日本という国が変われば自分はいつでも家族を置いてきた故郷、高知とも自由に行き来ができるとも思ったことでしょう。
高知県と愛媛県との県境に近い梼原町には、龍馬の脱藩の道と称される痕跡が数々残されています。
坂本龍馬が生きた幕末の時代や、龍馬の維新への改革の思いを馳せることがあれば
ぜひ訪れてみてください。
【維新の門】へのアクセス
高知市から車で1時間30分
須崎ICからは車で約50分
- 住所:〒785-0612 高知県高岡郡梼原町川西路2327
- 電話:0889ー65ー1350(梼原町生涯学習課)
- 駐車場:あり(無料)
- 定休日:年中無休