高知県四万十町下津井にあるめがね橋は昭和43年まで下津井森林鉄道の軌道橋でした。
距離にしておよそ4100mあった下津井森林鉄道は高知県内では最後の森林鉄道になります。
下津井のめがね橋から集落の方へ入って行くと森林鉄道の跡が見られます。
下津井森林鉄道の歴史
昭和15年頃から森林伐採が盛んだったその当時に佐川事業所などには、60世帯余りの人々が暮らしていました。
その佐川事業所に住む人々にとっては伐採した木を運ぶだけではなく時には急病人などを運ぶ雄一の交通手段でもありました。
しかし、時の流れと共に伐採作業も完了を迎え、佐川事業所と下津井貯木場との間の
4100mが昭和43年3月には27年の歴史を閉じることになりました。
この時、下津井森林鉄道は高知県内の最後の森林鉄道となったのです。
下津井森林鉄道の軌道跡を歩いて見る
下津井森林鉄道の軌道跡を見るのには、下津井のめがね橋から集落の方へ歩いて行くことができます。
少し歩いて行くと民家が何軒が立ち並んだ通りに出ます。
並んで建っている民家の前には、かつての軌道が敷かれていた跡が残されています。
家の前をギリギリのところを走っていた感じです。
この先を歩いて行ってみると
石が敷かれているところがあります。
線路にある石の事をバラストと言うらしいです。
これは、間違いなく鉄道の跡ですね。
車道から一段上がったところにあるので実際に歩いてみないと気が付きません。
下津井森林鉄道のトンネル
さっき歩いていた軌道跡とは反対側にはトンネルがあります。
ここも車道からは見えにくいとこにあるので、と言うか今まで何回か通った道だけどぜんぜん気が付きませんでした。
トンネルの入り口付近にも石が敷かれていた軌道跡があります。
中に入って見ます。
トンネルの中は照らすものもなく真っ暗です。
出口が見えてきました。
トンネルを抜けたところです。
入り口と同じくやや広めのスペースがありここにも石が敷かれています。
(バラストと言うらしいです。)
たぶんトンネルの幅が車両一台分ぐらいしかないのでこういったスペースでは行き違いの待機をしていた感じなのかなと思います。
だとすると・・・・こんなにきれいに軌道跡が残ってるなんてすごい!
やや興奮気味に先へ歩いてみると瓦の屋根が見えています。
あ、あれはもしかして駅舎の跡?
近づいてみると、う~ん、これは炭焼き小屋っぽいです。
どなたかが今でも使われているようです。
この辺りはなだらかな平坦な道になっています。
反対側には下津井橋から津賀ダムへと続いているダム湖が見えています。
道幅はありますが柵もないのですべり落ちたりしたらと思うと、とっても危険。
ずーっと先へと歩いて行きます。
足元の道には点々と石が敷かれていた痕跡が見れます。
バラストと言うらしいです。
この辺りは少しだけ傾斜がかっています。
この地点でめがね橋から約1kの距離です。
2つ目のトンネルがあります。
トンネルの中をのぞくと、なんかいっぱい荷物が置かれていました。
これ、なんて言うか忘れましたが線路上のトンネルの出入口にだいたい置かれている。
こう言うのを見ると鉄道が走っていたことを証明していますね。
下津井と言えば最近では・・・・。
四万十町下津井と言えば最近では夏ころになると「ぶっぽうそう」が飛来して来ます。
下津井橋から国道439号線を梼原方面に走っていくと国道沿いの杉林の中に鳥の巣箱がかかっているのを見かけた事があると思います。
国道沿いの木の上とか
こんな感じでつり橋のところにも。
実は「ぶっぽうそう」と言う野鳥の巣箱なんです。
その巣箱をかけたり、野鳥のお世話をしている門脇さんと言う方が下津井におられます。
「ぶっぽうそう」のお父さん的存在です。
その門脇さん宅へ訪ねていきました。
門脇さん曰く、ぶっぽうそうは、年々帰ってくる数が増加しているとの事。
はるかボルネオから渡ってくるそうです。
夏には、県内内外から100人くらいの人たちが、ぶっぽうそうを見に来ていたそうです。
また、ぶっぽそうのヒナをヘビが狙ってくるので、この夏にはヘビを80匹ほど駆除したそうです。
この下津井地区にはたくさんの種類の野鳥が飛来してきます。
めがね橋のところにも野鳥を紹介する看板がかかっています。
高知県と四万十町の鳥に指定されている、ヤイロチョウなども多くみられるそうです。
四万十町の大正の道の駅の前にヤイロチョウの森ネイチャーセンターがあります。
そして、去年(2021年)の夏ころからヒメ蛍もたくさん見られるそうで
国道沿いに門脇さんがヒメ蛍の看板を立てたそうです。
今年の夏には、ぜひ蛍とぶっぽうそうを見にこの四万十町下津井を訪れてみたいと思います。