愛媛県との県境にある韮ケ峠は梼原町を出発した坂本龍馬の脱藩の道としてもよく知られています。
梼原町から県道2号線、国道379号線の四万川の集落を通り行くまでの道中は標高が高いのできれいな景色を楽しむことができます。
韮ケ峠を越えて最初の宿泊地泉ケ峠までのルートを行ってみました。
坂本龍馬脱藩の道 韮ケ峠を超えて(高知県梼原町)
3月24日坂本龍馬は沢村惣之丞(さわむらそんのじょう)とともに梼原に住む那須父子の先導の元、韮ケ峠を越えました。
この峠を超えるとそこは伊予の国。
この先の峠の真ん中に「高知県/愛媛県」と道路に書かれています。
「この峠を越えるともう後にはもどれん、わしは行かないかんがちや。」
と龍馬は躊躇なくこの峠を越えて行ったことでしょう。
韮ケ峠は静寂な雰囲気に包まれたところです。
ここに来て改めて坂本龍馬の偉大なる決断を感じるにはいられません。
脱藩ルートの地図があります。
韮ケ峠を超えてすぐ左の山道へ入ると「脱藩の道」の案内板がありました。
こんな山道を越えて行ったのですね。
「惣之丞、こっちで間違いないかや?」
とか言いながらこの道を進んだのかな?
坂本龍馬も飲んだ男水の湧水(西予市野村町惣川)
韮ケ峠を超えて行ってここが、坂本龍馬が喉の渇きを潤したと言われる湧水です。
男水自然公園となっていて、屋根付きの休憩所もあります。
ここにも脱藩ルートの案内板があります。
ここから、この先の泉ケ峠まで行って宿泊したのです。
坂本龍馬が脱藩後の最初の宿泊地は泉ケ峠(大洲市河辺町)
愛媛県大洲市と内子町との境にある泉ケ峠は坂本龍馬が韮ケ峠を超えて最初の宿泊地となったと言われている所です。
駐車場らしきものがないので、車は路上駐車になりますが坂道を少し登ると一軒の家があります。
「りょうまさ~~ん、起きちゅうかね?」
いやいや、このおうちはもはやどなたかの家なのでご注意を。
宿泊した建物があったらしき場所に石碑があります。
河辺町の方々が脱藩の道を保存してくれています。
最後に・・・
幕末の時代を駆け抜けて行った坂本龍馬。
当時、これほどまでに文明が発達する時代が来るようなことなど想像できたでしょうか。
あの時、龍馬さんが脱藩を決断しなかったら、現代のような時代が来たかどうか?
当時の坂本龍馬の決意を改めてしみじみと思いを馳せたくなる脱藩の道でした。
坂本龍馬脱藩の道 韮ケ峠の詳細
- 住所:高知県高岡郡梼原町井高
- 駐車場としてはないようですが広くになっている車道があります。
- きれいなトイレがあります。
高知県梼原町から約40分です。